能衆は語る

一三〇〇年の歴史を継ぐ能衆の方々が「祭り」についての思いを語る。

祭りを続ける理由

別当 髙木八郎さん

 昔はそんなに気負うこともなく、この祭りは時期が来れば自然と集まり、行うものとして続いてきた。子供の頃から、周りの人に「将来は(別当を)継ぐんだぞ」と言われて育ち、当たり前にあるものだった。ただ、今は人が減ってきてしまって、遠くに住む弟にも出てもらったりして、今いる能衆同士で協力して祭を続けている。。

 ただし(西浦の田楽は)能衆だけでは絶対にできない。祭に欠かせない火を起こすためのタイを持ってきてくれたりするように、地元の人たちに支えてもらっている。その彼らがいなくなってしまったときこそ、祭の存続の危機になるだろう。

 能衆は皆、思っていることだろうが、この祭りは地元の人のためのものとしてある。だから地元の人から望まれる限りはずっと続けていきたい。その責任があると思っている。他所のためではなく、皆の安全を祈願するための大事な祭りだから。

髙木八郎さん

西浦の田楽 現在の別当(平成二十九年現在)

高木さんは西浦の田楽の中心となる別当家の長男として、小さな頃から伝統を見て育ってきた方。亡くなったお父様から受け継ぎ、二〇一一年から別当として祭の中心を担っている。

去年も今年も、来年も変わらずに

能頭 守屋治次さん

 西浦の祭りが一三〇〇年近く続いてきたことに対して「すごい」とよく言わる。しかし私たちはその度に「すごいのは私たちではなく、祭りを作ってきた先祖だ」と思う。この祭りがここまで残っているのは、これまで全く同じことを引き継いできた先祖たちがいるからであり、自分たちは今そのタスキを受け取って渡す場所にいるにすぎない。

 過去に飢饉や災害、戦争の危機があっても絶対に中止されなかった祭り。そこには煌びやかさ、美しさではなく、絶対に続けようという人の思いがある。

 そして全く同じように変わらずあることが、西浦の田楽の誇りであり「凄さ」だと思う。 私たち能衆には国の財に指定されたから何かしようとか、祭りを変えてもっと良くしようと思う気持ちは一切ない。ただ父の代から教わった通り、神に奉納する舞を絶対に崩すことなく守り続けていく。

守屋治次さん

「西浦の田楽保存会」会長|池島能頭

足神神社の宮司をされている守屋さんは、池島能頭と「西浦の田楽保存会」会長も務め、長年祭りに深く携わってこられた方。現在は息子さんと共に祭りを次代へ繋いでいる。